元青色の海月

思考の出力先

選んだ匣の中の自由

7月末日より仕事を辞め、今日に至るまで無職としてのらりくらりと日々を過ごしている。

7月の終わりから9月の頭まで実家に帰省し全くもってのニート生活を送っていた。帰省して2週間は実家に軟禁状態で過ごした。理由としてはコロナの潜伏期間を懸念したことと、田舎町の世間体を気にしたことである。帰省した翌日に地元のホストクラブにてクラスターが発生した、帰省当初はホストに間違われても致し方ないような風貌をしていた事が拍車を掛けたのだ。自業自得と言えばそれまでだが、いい迷惑を被った。

 

軟禁状態の2週間は本当に何もしなかった。勿論、転職用の履歴書や退職した会社の提出する書類等は作成したが、髪も切れずじまいの状況であったため自発的行動を取ることが出来ずにいた。

2週間の間は毎日、寝て起きて食事をして入浴して寝るだけの生活。自室からほぼほぼ出ない。ただただベッドに横たわりながら垂れ流している映像を眺めているだけだった。余計なことを無駄な時間を過ごした。今考えればあの2週間を有意義に使うことが出来れば多少なりとも良い方向に転がっていたかもしれない。

 

何もしない本当のニート期間が終えた途端にスイッチが入ったかの様に転職活動モードになり、バッサリと髪の毛を切り、しっかりと決めて証明写真を撮影、応募する地元の大手企業、中堅企業のエントリーシートを書き上げ郵送をした。結果から言えば全企業とも不採用となり東京に戻る羽目になってしまったのだが。

 

 

問題は不採用になったことよりも応募直後にバースデーブルーにかかり、約10日間程気が滅入ってしまっていたことだ。

仕事もせず、両親以外とは会話をしないはずなのに急に肌荒れを起こし、扁桃炎を起こし体調も崩した。その時は原因が分からなかった。多分心底自分の誕生日が嫌いなのだと思う。それが根底に有るため何もなくても病んでしまうのだと思う。その成れの果てが全SNSのアプリをアンインストールして自発的に世間から逃げてしまった。そんな状態の自分を見たせいか直接「おめでとう」を言ってきたのは母親1人であった。元々誕生日やクリスマスを祝う風習がない家族の為、祝われなかっただけましではあったが。

そんなこんながあり、立ち直ったのは8月の下旬であった。その頃には不採用の結果が届き始め、東京に戻る段取りをつけ始めるようになった。

 

9月上旬に静岡の企業はほぼほぼ駄目だと思い区切りを付けて東京へと戻った。

そこから1か月色々な企業にアポを取り何社か履歴書や面接を受けたが自分の実力能力不足が露呈し全て落ちてしまった。その結果、自分に何が足りないか、今後に何をすべきかが明確に見えた気がした。期間を決め、すべきことを定めた。そして現状では転職不可能と判断して、最低限アルバイトをお金を稼ぎ生き延びる事を決めた。

 

とりあえず11月から1月まで週7稼働します。

死んでみようと思います。