元青色の海月

思考の出力先

ゴロワーズを吸ったことがあるかい

年々歳を重ねる毎に嫌いな物事が増え、感動する事が減った。

元々知りたがりで知らない事に遭遇した時は直ぐに検索をし知識にし、興味を持ったことには猪突猛進し納得するまで調べあげる。

気に入った事は自分なりの考察をし、事ある毎に考えに耽る。

そんな事を続けるうちに興味と非興味の解離が大きくなり、新しい事を知っても感動しなくなった。

更に気が付くと好きな物は少なくなり、嫌いな物事が多くなっていた。好きであった物も知れば知る程嫌いになってしまうことが多々あり、自分で自分を殺してしまう時がある。

 

興味関心が薄れてしまうと人生から華やかさが失われてしまう。

ここ何年恋愛とは程遠い生活を送っている。

人に対する「好き」と言う感情が年々薄れている気がする。「心がときめく」がわからない。過去に一人の女性を愛することを出来ていたが、振られてから「愛する」ことが出来なくなり、そして徐々に徐々に「好き」と言う感情が迷子になってしまった。いつしか自発的に「好き」を発することがなくなった。かと言って独り身となって5年強誰からか「好き」と言われた事もないため、受動的にも実感してはいないのだが。

これは他人を信用信頼しなくなり、無駄に考え、相手を考察する癖が邪魔をしている様に思われる。

『「好き」は勘違い、「愛」は確信』と言う考えを持っている。

「かもしれない」が積み重なれば「確信」へと変貌を遂げると思っているのだが、「かもしれない」っと思ったとしても、感情に流されず一旦考えてしまう。

考えた挙句「かもしれない」を否定してしまう。

 否定しなかったとしても、相手を知ろうと言う欲求が暴走し、相手の行動言動から知ろうとし、悪い部分ばかり目に入り、自分と折り合いがつかないと感じると徐々に興味が無くなり、最悪の場合嫌いになってしまう。

この上記の様な愚行を行ってしまい、無意識の内に自ずと恋愛から離れてしまっているのである。

 

上記の愚行は恋愛だけでなく、自分の趣味娯楽にも影響を与えている。

歳を追うごとに多くの事を経験し、好き嫌いの判断が明確化してしまい、新しい事に感動をせず、勘違いが始まることなく「拒否」をしてしまう。

新しい事に表面だけで深く触れない為、自分の選択肢、娯楽を捨ててしまっているのである。

人生経験故に感動、悦楽を手に入れる事が出来ず、人生をつまらなくしてしまっている。「無知の知」である為、考える、調べることが当たり前になってしまっている。

無知の知」であるからこそ、一旦何も考えずに行動を取る事が出来れば、今の様なつまらない人生、人間らしくない生活から抜け出せるのかもしれない。

結局、言葉を選び考えながら文字起こしをしている時点で机上の空論になってしまっている、一歩踏み出す事が出来ない小心者なのだ。

 

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