天秤上の合理性と嫌悪感
2020年3月末までシーシャ屋さんにて3週間程アルバイトをさせていただいた。
本業の職場が徐々に休業したこともあり、収入が減額が確定していた為に働き始めたが、情勢を危惧され本業の会社から接客業の副業禁止勧告を受け研修期間終了と同時に退職する運びとなった。
接客や技術に関しては至らない部分が多く、迷惑を掛けた挙げ句、恩を返せぬまま辞める運びになったのはとても申し訳無いと思っている。
だが自分の経験として、ある程度の基本的技術を身に付けることが出来た為、良い時間を過ごす事が出来たと思っている。
シーシャとの出会いは19歳のイギリスのボーンマスへ2か月間の短期留学時である。
語学学校の同じクラスのスイス人が吸っていた物を少しだけ吸わせて貰った。
どの店で吸ったか、何のフレーバーかは憶えていない、特別美味しい物とも思わなかった。
そこから4年の月日が流れ、イギリスのブライトンに約1年間の語学留学をした。
この留学からシーシャをコンスタントに吸うようになった。
1回目の留学時と異なっていたことはシーシャがイギリスではマイノリティからマジョリティへと変わっていたことである。
シーシャカフェで吸う物からパブでも吸える物になっていた。
語学学校の授業が終わり、学校の友人5,6人でパブへ飲みに行き、 1本のシーシャを回しながら吸う。
喫煙者、非喫煙者関係なく吸う事の出来る、一種のコミュニケーションツールとなっていた。
何度か吸う内にヨルダン人の友人に勧められた「Al Amasi」と言うブランド。このブランドのフレーバーが気に入った。
帰国後、シーシャを吸うことはなくなっていたが、約1年が経過した時に通っていたコンカフェが系列でシーシャバーを出すことを聞き、興味本位で行くことにした。
当時の自分の中で日本のシーシャ―バーの在り方が苦手であった。
苦手と言うより自分の知っているシーシャバーの在り方が違っていた。
日本のシーシャバーはシーシャシェアが最大2名までしか出来ず、大人数でシェアすることが出来ず、個人で愉しむであった。上記で述べた様に自分の中のシーシャはコミュニケーションツールとしての一種であった為、一人で吸う物ではないと思っていた。
更に日本におけるシーシャ界隈の在り方が嫌いであった。
マイノリティの物をマジョリティにしようと言う動きがあるのに、マイノリティを尊重するという風潮があった。
シーシャ界隈だけではなく、日本のサブカル、アングラ、一般認知度が低い物全てに言える事だが、マイノリティ故のプライドを持っていて、形は多種多様どうであれ新たに興味を持った人に対する壁を作る節がる。それがいけ好かず、嫌いである。
だが何度か行くとその店の考え方や技術において納得する所も増え、違う店にも行く様になった。
シーシャ初心者なりに行く店に気に入るポイントが有り、その店の雰囲気もそうだが、メインで働いている人の「信念」と「技術」の二つが大きな要因である。
この二つが有るところは自然と雰囲気も気に入り、自分の中で居やすくなるのである。
そのおかげか、シーシャをコミュニケーションツールの一つから自分の世界で愉しむものへと変換する事が出来た。
シーシャを日本で常煙するようになり、約2年が経った頃に副業としてシーシャ屋でアルバイトをするようになった。
決めたきっかけとしては、夜勤業が有る、アルコール類を作らない、捨てられる趣味であることだった。
好きな物を職とする時に苦なことが有っても仕事して割り切り、嫌いになっても良い物を前提に考えている。
過去に少しの期間だけ音楽業界の裏方に就いていた時に好きだった事が苦になり一旦触れなくなってしまったことが有り、それが若干のトラウマとなり、「好きなものを嫌いになりたくない」と言う思いからこの思考に至った。
シーシャを嫌いになる覚悟でいた。一つの趣味を失う覚悟ていた。
しかし、嫌う前に辞める運びとなった。基本的技術のみを習得した状態で、半人前の状態で辞めてしまった。
不完全燃焼で終えてしまったことにより、妙な愛着が湧いてしまった。
身に着けて技術を捨てたくないという思いと、職場の休業、外出自粛の期間とが相まって、自宅シーシャを始める事にした。
「木乃伊取りが木乃伊になる」とはよく言ったもので、始めてからは1日1~3本のシーシャをほぼ毎日作り、店で習った作り方とは違う作り方を試したりしている。
挙句、シーシャ屋で稼いだ賃金はほぼ家シーシャの機材や環境作りに使ってしまった。
何の為に稼いだのか本末転倒である。元来のヲタク気質故に起こってしまった事態である。
この熱が何時冷めてしまうかは分からない。休業が終わり、仕事が再開し、自宅シーシャに時間が取れなくなってしまった時にやらなくなってしまうこともあり得る。
今の仕事を辞めたとして二度と接客業をやらないと決めているのだが、万が一に気が変わり「接客業をやろう」っと思ったならもう一度職としてシーシャ屋を選ぶかもしれない。
そう言った意味では考えの選択肢を増やしてくれた事に感謝している。
未だにシーシャ界隈の雰囲気が嫌いだが、最初の偏見からここまでの変化は時間の経過と環境の変化により視野が広がったことが要因だと思っている。良い意味で歳を取って丸くなったのかもしれない。
煙草も酒もギャンブルもやらなくなり、食にすら興味がなくなってしまった今、嗜好品として手元に留めておけるか否かが重要なのかもしれない。