元青色の海月

思考の出力先

無理はする物だが「無理」と発してはいけない物

2020年7月末日をもって現在の会社を退社する運びとなった。

2018年12月のクリスマスより働いていた職場だが、この御時世もあり職場が閉館することが決まった。部署移動をし会社に残ると言う選択肢も有ったが、「サービス、接客業から離れたい」と思い退職を決意した。

元々、人と関わる事が嫌い苦手であったが学生時代からのアルバイトが全て接客業であり、自分が保有するスキルを有効活用出来るという理由であり、更に11か月間のイギリス留学経験があり、保持していた一般英会話のスキルを腐らせず、活用しようと思い、ゲストハウスを職場として選んだ。

外国人利用者が多く、去年行われたラグビーワールドカップや今年行われる予定であった東京オリンピックで好景気が訪れると予想していた。

しかし好景気が訪れるどころか、ウイルスが蔓延しパンデミックを起こして職場が失くなると言う事態に見舞われてしまった。

 

この事態は誰も予測出来ない致し方無いことのであった。

元々東京オリンピックが終わった翌年2021年度には退職するつもりでいた。

上述しているように人と関わる事が苦手で、就業中にストレス性胃炎、パニック障害が発生、更に持病であった自律神経失調症が悪化した。

今年の3月末からは病状が酷く、精神科に通う予定であったが、幸か不幸か職場が休業し、ほぼ人と会わずに済む環境が出来たため自宅療養と言う形を取った。

主観的に見ると病状的には大分良くなっていると感じている。人と関わってもちゃんと話すことも出来、笑うことも出来る。回復し調子が良いため病院には行ってない為、完治したかはわからない。だがあと数日もすれば年中行事の如く心は沈んでまた数週間すれば回復するだろう。

話は飛んでしまったが、接客業において当たり前に無理をした為、身体を壊してしまったのだ。

体調を崩しながらもこの様な区切りまで仕事を続けたのは直属の上司への恩が有ったことが大きかった。この職場では上司の下以外では働きたいと思っていた。その上司が退職することを自分等に伝えたのだ。その瞬間に自分も辞める決心をした。他人の意見に流されて決めたように思われるかもしれないが、自分の中の最終決断を下すのに大きな要因であった。それ程まで上司には感謝をしている。その人も一番辛い状況下にあった時に自分を信用して仕事を任せ役職を与えてくれたことがあった。それにより自分の中で無理を「無理」とは発せずにギリギリ死なない程度に働き続けることが出来た。

 

人に頼られることによって自分の働く意味意義を見出していたのかもしれない。

自分の悪い癖なのだが自分の為に努力する事が出来ず、他人の為にしか努力できないこと。これは自分に甘えているのかもしれない。仕事を辞めて新しい職を見つけなければならい。現状で誰かの為になどと言っている余裕はない。ウイルスが原因であれ、自分の弱さが原因であれ、どんな原因であれ仕事を辞めたのだから確りと仕事に就かなければならない。誰にも迷惑を掛けないように人生を歩まないといけない。

無理をして生きようとは思わないし、無理して死に急ごうとも思わない。だが生きるためには無理もしないといけないのかもしれない。