元青色の海月

思考の出力先

自己の嫌悪と否定で生きている

僕は自分が嫌いだ。

外見も中身も全てにおいて自分が嫌いだ。

何をしても自分を肯定することが出来ない。

いくら勉強しようとも 、いくら着飾ろうとも、どんな努力をしたとしても自分は頭が悪く醜いまま何も変わらない。

きっと自分に対し、ある種の完璧主義を強いて、無い物ねだりを続けているのだと思う。

 

他人の為に生きていると言ったら烏滸がましいが、少なくとも自分の為には生きていない。

僕は自分の為に頑張る事が出来ない。

僕は凡人である、いや凡人以下の人間かもしれない。

非特別な存在はこの世界の歯車の一部として代用が利く部品の一つとして世界を回している。

特別を特別とさせ、1番を1番とさせるのが非特別の存在である。

例外に漏れず僕も非特別な存在である。

 

現在の職場環境において、自分はどの分野においても1番と誇れる物がない。だからこそ自分より優れている人達が1番である為に、何も出来ない自分は泥水を啜ろうが汚名を被ろうがその人達が動きやすい環境を作ることが僕が出来る唯一の事。これでしか回りの人に職場に還元することが出来ないから致し方無いのである。

 

日常生活においても、自分の為にお金を使うことが過去と比べ大分減った。自分の手元に残るお金の使い方をしなくなった。

それを如実に表しているのがコンカフェである。

僕は人と話すのが苦手であり、コンカフェに行った後は毎回尋常じゃなく疲れてしまう。会話して楽しいと思うことは基本的に無い。

他人からすれば時間とお金の無駄遣いだと思われてしまうが、僕はお金を使う場所としてコンカフェを利用している。クソみたいな自分に使うより、推しや好みの顔面に使う方が有意義に感じているからである。

 

自分の外見においても髪を伸ばし結い束ね簪を挿し、眉と髭を整え剃る。

こんな外見なのは成りたい外見に成れず、近づこうとすれば身体に合わず醜くなってしまう。なら嫌いだとしても少しはまともな成れる外見に成るしかなくなってしまった。

他人からの評価、肯定を求めて行っているのではなく、僕の中での自己満足である。

成れる自分に自らなろうとし出来上がった自分を肯定する。これが唯一今の自分を肯定出来る所である。肯定しているが嫌いなのは変わらない。自分の中に多々ある矛盾の一つである。

 

他人が自分の為に何かをしてくれると言う行為が非常に苦手で嫌いである。

自分の為に時間やお金等を使うことは、その人の人生の無駄遣いになってしまう。

慈悲であろうと人の時間と労力を無駄にしてると考えると苦痛で耐えられない。

僕に何かをするのならば、もっと他の有意義な物事に使え、そしてその人自身を豊かにする事が出来るのに思っている。

 

嫌いな人に何もしてあげたくない様に、嫌いな自分には何もしない。だからこそ僕が感謝している人達に対して尽くしたい。

エゴであるがそれが自分が死なずに生きている意味意義だと勝手に解釈している。

 

自己嫌悪が無ければ勉強もまともにせず、知識を得ようとせず、何の努力もしないまま今以上のクズであったはず。

自己否定をし続けているから死に損ないで生き続け、少しは世に還元出来ているはず。

故に自分を嫌悪し否定し続け、少なからずの価値を生み出して生きていく。

壊れたら直ぐに代用のできる部品として。