元青色の海月

思考の出力先

菅田将暉って読めない

基本的に初見で間違えて覚えてしまった事は訂正できず、半永久的に間違いを使い続けてしまう。

良い事例が人の名前だ。

元々、人の顔と名前を一致させるのが苦手で覚えるためには補足情報を入れないと覚えられなかった。

バスケットボールをやっていた時に先輩の顔と名前を一致させる事が出来なくて、背番号とポジション、プレースタイルで覚えていたら親に笑われた。

 

顔は特に曖昧でしか覚えられなくて、友達や推し、それどころか親友や親の顔も具体的に説明しろっと言われても出来る自信がない。

道端で遭遇したとしても顔がぼんやりしているため声を掛けることも出来ないし、逆に声を掛けられるとキョトンとしてまう。

 

どうにかして覚えようとする時に人の格好や癖等を言語化して自分の中であだ名を付けてしまう。

これが原因で人の本当の名前を覚えるのが難しくなってしまう。

最初に述べた間違えて覚えてしまった名前もあだ名と同義なのである。

 

良い具体例として僕は菅田将暉を「すがたまさき」と読んでしまう。

彼に興味がないから仕方無いのかもしれないが顔も「これが菅田将暉だよ」っと言われないと分からないし、多分覚えられない。

僕の中で菅田将暉は一生、顔も分からない「すがたまさき」なのだ。