元青色の海月

思考の出力先

マグロ、九三七〇夜連続構想

回遊魚の鮪は泳ぎ続けなければ窒息死してしまう。生まれてから死ぬまで泳ぎ続ける。寝る時も休まず永遠と泳ぎ続けている。

獲物を狙う時、強者から逃れる時に生きる術として最高100キロ近くの速度で泳ぐことが可能である。

 

僕はマグロの生活習慣の様な脳内構造を持っている。

永遠と物事を考え続けてしまう。

重要な事柄から他愛ないしょうもない事柄まで内容は千差万別である。

少しでも興味を持ったもは先ずは検索をし調べて知識として蓄える。

もしその時に「理解できない」「わからない」ならば「何故わからないか?」「何故理解できないのか?」を究明する為に調べ考察する。

 

物事を「わからない」ままにすることが出来ないのだ。

自分は頭が悪い、物を知らない、理解力がない。

だからこそ考え続けないといけない。

考え続けなければ人並みにはなれない。

だからと言って興味がない物について考える続ける事は出来ない。考えても覚えられず理解も出来ないからだ。ただでさえ知らないことが多いのにそのタイミングで不必要な事柄に時間を取られ、浪費し無駄にしてしまう。

厳密に言えば無駄ではなくいずれ必要となる知識なのだが、考える優先順位として低い物より優先順位が高いものについて考える方が必要なのだ寿命は有限なのだから。

 

これは仕事や趣味だけでなく対人関係に関与している。

僕は人の気持ちを汲み取ることが出来ない。

自分の感情でしか行動発言が出来ない為、自分とは違う感受性を持っている人の気持ちや行動原理がわからない。

当たり前の事だが人間は多種多様十人十色の存在であるため、基本的に他人の気持ちがわからない。

他人に興味がない事も相まって他人が「わからない」のだ。

 

他人に興味がないが他人の行動には興味があると言う矛盾を保持している。

多分これは自分が生きていく上で、どんな人間とも話せるように他人の行動発言パターンを覚え、細分化し、幾つかのテンプレートを保有し、その場に合った会話を出来るようにするためだと思う。

社会不適合が対人感情が有り様に見せる八方美人なのである。

勿論、例外もあり会話が上手く噛み合わなければ、後に会話を思いだし、「あの時どう発言すれば良かったのか?」等のように反省し考える。

 

出来損ないの僕は思考が一杯一杯になってしまうと対人関係の会話が一切出来なくなってしまう。自分の構内の引き出しが開けず、素っ気ない言葉でしか返答が出来ず、相手を怒らせたり、悲しませたり、傷つけてしまった事がある。

だから考え続けなければいけないのである。

 

一度考える事を止め様と試みたが、何も考えないと何もわからなくなってしまった。

何もわからない焦りと恐怖に押し潰されそうになり思考再開をすることになった。

普通の人なら何も考えないと言う選択肢が取れるのだろう。

だが普通ではない僕はそれが出来ない。

生きてしまった以上最低普通でないと人並みの生活ができない。

もし並み以上の人間になったのならば考える事を止めることを出来るだろうが、永遠と並みになれない僕は息を止めるまで考え続けないといけないだろう。

 

 

生きるために考え続ける、生きるために泳ぎ続けるマグロの様に。