元青色の海月

思考の出力先

過去帰りは幸せか否か。

職場が休業して早10日が経過しました。

基本的に不要不急の外出自主規制を行い、片手で数える程度しか外の空気を吸っていない現状であり、240時間の内約5時間程度しか部屋と違う景色しか見ていない。

 

この様な生活をして1週間がたった辺りで気が付いた事が1つある。

それは自分の体調がとても調子が良いのである。

多分、上京して6年の内で一番体調が良いのではないのだろうか?

それほどまでに心と身体が軽いのである。

 

まず自分は対人コミュニケーションが大の苦手である。

ある程度仲の良い人とでも居るといつの間にか疲れてしまう。

気付かない内にそれがストレスとなり蓄積してしまう。

自分の趣味として「ライブに行く」という物があった。

これはバンドの演奏を見るのが好き、アイドルのパフォーマンスを見るのが好き、フロアで暴れるなりふざける事が好き。と言うものであった。

確かに身体を動かしストレスを発散するという目的があり、ステージを見て自分が出来ないことを出来ている人達に対しての尊敬が有った。

しかしライブ後に会話をする時には自分は壁を作ってしまい、無意識に話すことを考えながら会話をするためそれが苦になる瞬間が多々あった。

 

学校において最初の2年間及び1年間の留学中は英語の学校で有ったため、第2言語で会話をして当たり前の環境であり、元々英語が嫌いな自分は苦難の時間を過ごした。

大学編入後は歴史学を専攻していたが、メインとなる専攻のゼミは自分の書いた論文について討論を行うと言うものであり、製作期間は悠々自適に取り掛かれていたのだが、最年長及び外の世界を知っていると言う理由でゼミ長にされ、まとめ役担ってしまい、他の学生よりコミュニケーションを取らないといけない状況であった。

 

アルバイトにおいても基本が接客業、就職先もサービス業で有ったため、お金のためとは言え自分を殺し日々身を削りながらの生活を過ごした。

挙げ句、根が真面目で病欠もしないし、一通りこなせてしまうため、バイトリーダー、従業員代表と言う役職まで付けられてしまった。

 

更に元来人混みが苦手、都会も好きではない事が相まって、通学通勤の電車や何処に行っても人が居る状況が苦で仕方なかった。

 

これらの要素が全て重なり、毎年体調を崩し続けていた。

 

しかし、良くか悪くか職場の休業、外出自粛の世の中の流れになり、社員会議と親友と会話以外で他人と会話することが無くなり、外に出ず永遠と自分の世界に引きこもる事が出来るようになった。

そうなると徐々に体調は良好となり、ビックリする位にポジティブになり始めたのである。

そのせいか自分のSNSの発言が自分自身がウザイと思うと物に変わっていた。

明るく人嫌いではなかったアホの時代の自分に戻ってきている。

 

事態が収束し普通の生活に戻ってしまうことが自分の中での恐怖に成り始めている。

もしかすると前のような時間とお金の使い方をしなくなる様な気がしている。

最低限の人と関わるだけの生活が自分にとっての幸せなのかもしれない。

 

こうつらつらと書いて気付いたのだが、これ以上自分に友達が出来ないどころか、このままだと一生彼女が出来ず、結婚も出来ないまま人生を終えてしまう気がする。

自分にとって楽な生活は結果として一生孤独な生活なのかもしれない。

自分の理想と現実が矛盾し反比例していると実感した。

この生活に慣れたら社会のゴミになって終えてしまう。